古い投稿文その2

2014年7月に投稿しようとして止めたものです。

平井和正氏がエイトマンの鎮魂のために書いたとおっしゃってた。

サイボーグブルースをスマホで読んでみた。

老眼で文庫本を読むのが辛くなっている身に

文字の大きさや画面の明るさの調整ができ、

嵩張らず簡単に続きが読める電子図書は非常にありがたく便利に思えた。

 

実際問題PCで「青空文庫」と言うところから

幽霊塔をダウンロードし3日がかりで読んだ事もある。

自身のブログ投稿もこうしてしてるし、

サイボーグブルースの前に別の電子図書も読んでいる。

PCを使用して文章を作るのは仕事上も含めて

日常の一部になってる。

メールだって今や当たり前の事だ。

 

でも・・・・・でも、

何だろう、この感覚、この嫌な感覚。

確かに読んだのは読んだ。

気になる部分は何度も読み直したんだが、不安感が半端なくて気持ち悪い。

そわそわするというのじゃなけど落ち着かない。

最初は何だろうと思った。

エイトマンの為の・・・と言う事で

期待していたのと内容が微妙に違うからか?

後半ドタバタでしかも未完だからか?

そうじゃない、そうじゃないのは判ってる。

でも、どうしても不安感が消えない。

 

いろいろ考えてて、あっと思った。

内容ではなくスマホで読んだと言う事が、不安感になってるんだと。

本と言う「肉体」がないからだと思った。

そして、自身がその肉体を失ったような、そんな喪失感を感じているんだと。

 

アーネスト・ライトとエイトマンは、

鋼鉄の機体と言う棺桶に死してなお幽閉された。

死者だから生身の肉体は既にない。

どんなに恋焦がれても欲してやまなくても二度と手に入れられない。

 

そうか、そうなんだ。

電子図書はPCや、専用の末端、スマホと言う高性能機体を手に入れた。

その反面、本と言う「生身の肉体」を失ってしまった。

紙の質感、ぬくもり、インクの匂い・・・・

電子図書にそれはない。

代わりに瞬時に文字を大きくしたり

読みやすい明るさにしたり簡単に読みかけから読めたりする。

経年劣化もなく、傷もつかず、汚れたりしない。

 

そうか、電子図書=エイトマン、本=東八郎

と考えればどうだろうか?

中身はまったく同じなのだからだ。

 

先ほどサイボーグブルースの文庫本を探し出し発注した。

生身の肉体を失った二人のために、せめて活字だけでも

この小説だけでも「肉体」をと、何の意味もないだろうけど、

単なる自己満足だろうけど・・・・手元に届くのを待っている。

 

*この本は届きましたが、出版社が違っていて、読みたかった後書きがなく

四苦八苦してお目当ての本を探し出して今手元に2冊あります。

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